<金口木舌> 古い墓が伝えるもの


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 ペリー艦隊が那覇に来たのは1853年。入港間際、乗組員の目を引いたものがある。「丘陵には所々に白い斑点が点在して、最初は家かと思ったが、石灰岩の墳墓であった」(『日本遠征記』)

 ▼その37年前、英国のバジル・ホールも、船上から馬てい形の墓に目を留め、しっくいで念入りに補修されたさまを記している。海沿いの斜面に古い墓が並ぶ光景は、外国人の好奇心を駆り立てたのだろう
 ▼先日、那覇市牧志にあるナイクブ古墓群の見学会に参加し、息をのんだ。ニューパラダイス通りに面した一画に、岩陰墓、掘り込み墓、破風墓、亀甲墓と多様な形の古墓14基が並ぶ
 ▼緩い曲線の石板2枚を組んだ見事なアーチ屋根や、墓室内の二重の石積みなど、琉球の石造技術の高さが見て取れた。石壁の弾痕は沖縄戦を物語る
 ▼琉球最初の瓦職人・渡嘉敷三良(さんらー)の墓が近くにあることから、一帯は1600年代から墓地だったとされる。その数、200基余。周辺が埋め立てられるまでは、ここも海沿いだった
 ▼市によると、文化財調査の後は3基だけを保存して芝生広場などにする計画だ。市街地のど真ん中で、近世の古墓群がまとまって見られるのは貴重だ。観光資源や生涯学習の場としても活用できよう。ここにしかない史跡公園として残す道を探りたい。異国人だけでなく、今に生きる私たちも魅了してくれるはずだ。