<金口木舌>平和の鐘


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 「平和の鐘を聞く時ぞ/我等は集う手をとりて/めざす光を求めつつ/ああ歌わなんわが学舎」。沖縄戦終結から7年後の1952年、再出発した沖縄盲学校(当時の沖縄盲聾唖(ろうあ)学校)の学びやに、校歌が響いた

▼戦火をくぐり抜けてきた子どもたちを平穏な環境に迎えた教師たちの高揚感、使命感を想像するだけで、こちらまで胸にこみ上げてくるものがある
▼校歌を作詞・作曲したのは「沖縄盲学校の母」と呼ばれる宜野湾市の中村文さん。盲学校の教員を長く勤め、沖縄の視覚障がい者教育に力を尽くした。このほど、99歳を迎えた中村さんの足跡を記す自分史「視覚障害者の手となり足となりて」が家族の手によって出版された
▼歌詞に込めた思いが自分史に描かれている。ある年の創立記念日に中村さんは生徒に語りかけた。「当時、集まった生徒、父兄、職員は、鉄の暴風の吹き荒れる中を生きのびてきた者たち。平和の鐘を聞くことのできる喜びは例えようもありません」
▼戦争で視力を失った弟の存在が、視覚障がい者教育へ情熱を傾けるきっかけに。人の優しさを感じる余裕のない戦世を体験したからこそ、戦後は教え子に深い愛情で接し、希望ある人生を歩むよう導いた
▼戦後69年の今年、平和の鐘はどう鳴り響いているか。中村さんをはじめ、戦後の荒廃を立て直してきた人々の思いを今一度、思い起こしたい。