<金口木舌>イイネの向こうにあるもの


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 10年ほど前、高校生に取材していたら「ミツヨコ」「ヨギジュウ」という不思議な単語を交えて話され、頭の中で「?」の文字が飛び交った

 ▼あらためて聞くと、人気の待ち合わせ場所である「三越の横」「与儀十字路」のこと。当時の高校生も今は30歳目前か。サラリーマン川柳の1句を読んでいて、そんなことを思い出した。「新人の/短縮ことばに/辞書を引き」
 ▼大手生保が募るサラリーマン川柳。ことしの入選句を読んでいると、時代の変化や世代間のギャップが見えてくる。どきりとしたのは次の1句。「子の動向/フェースブックで/知らされる」
 ▼そういえば、親きょうだいと顔を合わせたのは、もう何カ月前だったか。実際は遠くにいるのに、何となくつながっているような気にさせられる
 ▼「『イイネ』には/『どうでもイイネ』が/約五割」ともあった。情報通信技術が発達して、何年も会っていない同級生らの近況が分かるのもありがたい。だが便利になったようで、物足りなさを感じるのも確かだ
 ▼メールなどで流れてくる情報は、喜びを分かち合うものもある。それでもパソコンに向かうより、顔を合わせてこそ話も深まるのではないか。中高年だけでなく若者もそうかもしれない。「たまにはさ/スマホじゃなくて/僕見てよ」。あらためてコミュニケーションの在り方を見直したい。