<金口木舌>「アンネの日記」が問い掛けるもの


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 「じゃあ、また」-。8月1日の日記は、いつもの言葉で締められた。2年2カ月続いた日記を、少女が再び開くことはなかった

▼ドイツ系ユダヤ人家庭の次女として生まれたアンネ・フランク。日記は、ナチスによる迫害を逃れるため、一家で隠れ家生活を送ったアンネの日々がつづられている
▼「わたしの望みは死んでからも生き続けること!」。15歳の少女が、目指していたのは作家かジャーナリスト。70年近くたった今、「アンネの日記」は世界各国で広く読み継がれている。少女の思いは現在も伝わっている
▼無残に破られた本の写真を見ると、胸が痛くなる。東京都内の図書館で「アンネの日記」と関連書籍が何者かによって破られているのが相次いで見つかっている。愚かな行いは、世界へ悪い印象しか与えない。これこそ国益を毀損(きそん)する行為であり、憤りを覚える
▼訳者の深町眞理子さんは、ユダヤ人の大量虐殺という悲劇は「異質なものへの不寛容」が生んだものだと言う。終戦2年の1947年、ポーランド下院はアウシュヴィッツ強制収容所を「受難の地」として残すことを決めた。人類が同じ過ちを繰り返さないために「不寛容さ」が生んだ悲惨な歴史を直視する必要がある
▼過去の教訓に背を向けるいびつな価値観が、この国に広がってはいまいか-。アンネがそう警告している気がする。