<金口木舌>コザの山形屋


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 沖縄市長選の立候補予定者の名を記したのぼりが立つ胡屋十字路で、古い建物が取り壊された。理髪店や洋服店として使われた建物にはかつて老舗デパート山形屋の支店が入っていた

▼コザの山形屋を記憶する世代は50代後半以上だろう。1953年に開店し、6年ほど営業した。那覇に生まれ、戦争による店舗焼失と再興を経て99年に閉店した沖縄山形屋の歴史の一節だ
▼復帰前のコザを彩る店と言えば、米兵相手の飲食店やライブハウスを連想する。兵士が闊歩(かっぽ)する基地の街と、鹿児島にルーツを持ち、那覇で威風を放った山形屋とは不思議な取り合わせに見える
▼山形屋の社史は意外な事実を記録する。基地建設に従事する本土大手建設業を相手に基地内で食堂を営んだ。支店内でも米兵の子ども向けのおもちゃを売っていたと当時を知る市民は話す。フェンスの向こうにも客がいた
▼戦前・戦後の沖縄のアチネー(商売)物語を編むならば鹿児島商人、沖縄戦、基地が縦軸となる。軸に貫かれたコザの山形屋は、米軍と向き合い、時に苦汁をなめた街の履歴書にひっそりと名を残す
▼いくつもの店が生まれ、消えていった胡屋十字路。投票日に向けて選挙演説が繰り返され、街の夢が語られよう。その時、コザのアチネー魂に縁取られた十字路の歩みにも目を向けてほしい。街の未来を築くための礎がそこにはある。