<金口木舌>不惑を迎えた沖縄市


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 「沖縄市からコザ市に戻そう」という沖縄市議の質疑が話題となったことがある。1995年の市議会6月定例会での一幕。街の活性化を意図した提案に賛否が分かれた

▼74年4月1日の沖縄市誕生の立役者2人も対照的な反応を見せた。「やあ、面白いね」と乗り気だったのは元コザ市長の大山朝常さん。元美里村長の中村哲二郎さんはきっぱりと「沖縄市でいい」
▼沖縄市という名称は、合併で美里側の理解を得るための妙案だった。「対等合併だ。コザ市でなくてもいい。沖縄市だ」という大山市長の誘い文句が中村村長をとらえた
▼大山さんはちゃめっ気を交え「誘惑したんですよ」と明かした。「吸収合併、コザ市」なら断る積もりだった中村さんは「後に引けなくなった」。合併協議会発足前の逸話である。73年11月、コザ市存続が最多だった公募結果を覆し、新市名は沖縄市で決まる
▼コザの名は廃れず、市民に愛され続ける。美里も春の甲子園に名を残した。しかし、市制40年を迎えた沖縄市の現状は厳しい。中心市街地の低迷に悩み、街の発展を阻害する米軍基地に苦悩する。合併時には想定しなかった事態であろう
▼著書「沖縄独立宣言」で「祖国」を見限った大山さん、好きな琉歌で世相を詠んだ中村さんが逝って久しい。不惑となった沖縄市の姿は、天上のご両人の目にどう映っているだろうか。