<金口木舌> 成長と進化の30年


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 勝者を迎えるのはゴールテープだけではない。会場は1万5千人の熱気で埋まった。ワイドー、ワイドー(頑張れ)の掛け声は241人の背中を押し続けた

 ▼全日本トライアスロン宮古島大会は1985年、地域住民の熱き思いと共に大会の歴史がスタートした。水泳、自転車、マラソンを1日で行うという発想は、日本でほとんど知られていなかった
 ▼参加者は少なくとも、現在につながる大会の魅力は第1回から見られた。制限時間ぎりぎりで競技場に現れた選手を応援しようと、住民が伴走しながら「ワイドー」の大合唱。中継していたNHKのディレクターが、主催者に「演出ですか」と尋ねたというエピソードが残る
 ▼1日で200キロ以上を泳ぎ、駆けるトライアスロンは選手それぞれにドラマがある。そうした競技自体の魅力もさることながら、住民一丸となった応援、南国の豊かな自然が宮古島に人を引きつける
 ▼第1回大会が開かれた85年当時、国内のトライアスロンは4大会。それが宮古島大会を起爆剤として翌年には20、その後10年で国内大会は100レースにまで増えた。その急増ぶりが、宮古島大会が与えたインパクトの大きさを示す
 ▼成長と進化を遂げた大会は、きょう30周年の節目を迎える。宮古島は丸一日、熱気に包まれる。選手と住民が一緒に描く物語の新たな一ページを楽しみにしたい。