<金口木舌>埋まらぬ距離


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 中部から那覇への電話が長時間つながらない。そんな出来事を1972年5月13日付の本紙が報じている。沖縄の日本復帰を前に、商談や問い合わせの電話が那覇に集中した影響だったという

▼当時の回線数では世替わりの電話需要に対応できなかった。利用者のいらだちを反映してか、記事や見出しに「イライラ」の文字が3度出てくる。嫌でも那覇との距離を感じたであろう
▼今なら那覇はおろか地球の反対側まで、ネットを通じて大量のデータを瞬時に送信することができる。ネット社会は距離を超え、世界を包み込む。それでも落とし穴はある。ネット社会はまだまだ脆弱(ぜいじゃく)だ
▼ネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラー」の欠陥騒ぎには面食らった。中年のパソコン音痴は対処できずに困惑するばかり。代替ソフトを使って難を逃れる若い同僚との距離を感じた次第
▼高速・大容量の通信でも伝わらないものがある。普天間飛行場の県内移設を拒む県民の声を日本政府は受け入れず、着工前倒しをもくろむ。米国と結ぶ安保という老朽化した回線に執着するがゆえの暴挙である
▼海外に目を向けてみる。米国を中心に識者の間で「辺野古移設ノー」の声が広がっている。日本本土の姿は一層遠のいて見える。沖縄は明日、復帰42年を迎える。彼我の距離をかみしめながら、希望をたぐり寄せる日としたい。