<金口木舌>暮らしと戦争


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 官公庁職員に交じって迷彩柄の戦闘服を着た自衛官が座っている。3年ほど前、不発弾の処理方針を話し合うため、南風原町役場で関係機関が集まり開かれた会議での出来事だ。戦闘服に「有事」を連想し違和感を覚えた

 ▼ここ数年、制服や戦闘服で市町村役場や県庁をかっ歩する自衛官を見掛けるようになったが、表立って反発する声は聞こえてこない。「軍隊」と隣り合う暮らしに、慣れてしまったのだろうか
 ▼沖縄に自衛隊が配備された復帰直後、県民は住民登録拒否、成人式参加反対といった形で激しく抵抗した。那覇市の成人式実行委員会が自衛官に、私服での式典参加を要請したのも過去の話。基地外で「制服姿」が市民権を得つつある
 ▼慣れといえば沖縄戦前の与那原の街を思い出す。日本軍の第32軍の創設に先駆けて1941年、中城湾臨時要塞部隊が派遣され軍事力に染まった。商店は兵士でにぎわい、兵舎を案内してもらう子どももいた
 ▼軍隊のいる生活に慣らされた街は沖縄戦で壊滅した。「戦に巻き込まれるとは想像もしなかった」。取材で会った与那原出身の高齢者の言葉が忘れられない
 ▼日常の慣れが、ひいては戦争に反対できない空気をつくり、戦に疑問を抱かないように国民を変えてしまうのではないか。戦争のできる国へと向かっている今だからこそ、沖縄戦の教訓に学びたい。