<金口木舌>金網と向き合う動物園


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 日本の動物園は、1882年に開園した上野動物園を嚆矢(こうし)とする。その9年後に完結し、長く読み継がれた辞書「言海」は、動物園を「種種ノ動物ヲ畜ヒテ人ノ観ルニ供フル所」と解説した

▼語釈は世紀をまたぐ。2008年刊の「広辞苑」第6版は、動物園の項で「各種の動物を集め飼育して一般の観覧に供する施設」と記した。文体は違えども内容は同じである
▼開園44年になる沖縄こどもの国を辞書風に解説するなら、動物園の説明に続けて「米軍統治下の少年非行に対処した児童福祉施設」と書き加えたい。当時のコザ市の苦境が行間ににじむだろう
▼開園は1970年5月。米軍基地を抱えるがゆえの厳しい社会環境から子どもを守るための施設として生まれた。基地の金網と向き合う街で動物園のおりを据えた。上野動物園からは動物が贈られた
▼基地との縁は切れない。基地負担の軽減を名目とした「島田懇談会事業」でワンダーミュージアムが2004年に開館する。10年を経た今年、展示内容を一新し、話題となった。基地負担は変わらない
▼「命の大切さ、生きることの大切さ、自然を考える場」として、沖縄こどもの国は「持続的社会の形成が重要」と考える。園内で開催中の写真展に寄せた高田勝施設長の言葉である。基地に揺さぶられ続ける街で未来を展望する動物園の矜持(きょうじ)だと受け止めたい。