<金口木舌> コザの物語は続く


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 中央パークアベニューに程近いホテルの窓から街の移ろいを見詰めてきた。目線は優しく、時に憂いを帯びた。本紙コラム「南風」をつづった宮城悟さんが8日亡くなった。最後の1回を残して

 ▼コザのホテルマンの心意気を「哀愁のB級ホテル」の標題に込めた。経営するデイゴホテルを「B級」と称したのは、大型リゾートホテルにはない独自性の証し。「哀愁」は、街の歩みに根差している
 ▼米兵相手のホテル稼業の隆盛と辛苦を見てきた。ドルで潤い、基地内のホテル建設を促す「思いやり予算」に泣いた。戦場に赴く米兵の横暴と苦悩に接した。ホテルの歩みはコザの戦後史に重なる
 ▼「嫌なものを見た。泣き寝入りもした」と明かした。米軍相手の商売に負い目も感じた。コザで生きることの宿命を体現していた。「この街には物語がある」という言葉に実感がこもった
 ▼まちづくりという物語の作者でもあった。基地経済からの脱却を掲げ、スポーツ合宿の誘致による観光振興を提唱した。哀愁のホテルマンが描く物語はまだ続くはずだった
 ▼病と闘い、余命を見詰め、コラムを編んだ。最後の1回は果たせなかったが、息を引き取る間際、病室で紙片にメッセージを残した。「みんな ありがとう!」と。ホテルマンを愛したコザの仲間たちは、これからも街の物語を紡いでいく。悟さんの心を胸に。