<金口木舌>あの時の戦場を歩く


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 戦跡を案内する平和ガイドから聞いた話。「手掘りの壕」と説明すると、「手で掘ったんですか」と大学生。つるはしなど人力を使う意味だと話すと「つるはしって何ですか」

 ▼言葉一つとっても、沖縄戦を伝えるのは難しくなっている。若い世代にどう伝えるか。4年前、平和ガイドの有志らがある試みを始めた。各地に残る戦跡を自らの足で歩いて回る「沖縄戦を知るピースウオーキング」だ
 ▼回を重ね16回。こだわるのは時と場所だ。69年前と同じ季節、同じ土地を歩き、この島で起きたことを追体験する。ひめゆり学徒隊が野戦病院に動員された3月下旬には、安里-南風原の7キロをたどった。住民や軍人が追い詰められた6月には、針のような岩礁が広がる摩文仁海岸を踏みしめた
 ▼車で通り慣れた道も、歩くと起伏や距離感が体感できる。胃袋も当時に近づけようと、道中はピンポン球大のおにぎり、乾パンだけ。体験者の話も現場で聞き、五感で地上戦を学ぶ
 ▼発案者で実行委代表の垣花豊順琉大名誉教授は「バスで回ると点でしかない戦跡も、歩くことで線で結ばれて、沖縄戦の全体像が見えてくる」と強調する。15日は首里高女、昭和高女学徒隊の足跡をたどる
 ▼長崎の被爆者に「死に損ない」と中学生が暴言を吐く時代。歴史の現場に立ち、肌身で戦争を捉え、想像する力を育むことが一層必要になっている。