<金口木舌>2つの戦争と向き合う


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 古い映画やエッセーに「この前の戦争」という表現が時折出てくる。69年前に終わった戦争を身近に感じた時代。日本社会は戦争の影を引きながら、復興への道を歩んだ

▼NHKラジオの「尋ね人」はそんな時代の産物だった。戦争で離別した家族や知人の名を放送で連ね、消息を尋ねる番組は1946年に始まり、62年まで続いた。最初の3年間、消息が分かった尋ね人は放送件数の35%だった
▼新聞紙上には戦死者の名が並んだ。沖縄の援護法適用を受け、55年から県出身軍人・軍属の戦死者名が「死亡公報」として本紙に掲載された。掲載頻度は月に1度。遺族に通知し、援護金支給手続きを促すためだった
▼戦争体験は遠のく。戦死者名の掲載理由を問う高校生の投稿が64年7月の本紙にある。今で言う「団塊の世代」にして、既に戦争は「この前」ではなかった。「死亡公報」の掲載は68年に途絶える
▼今月になり、戦争の影をたぐり寄せ、実相を明らかにする記事が連日紙面を埋めている。集団的自衛権の行使容認を目指す安倍政権の動きも同じ紙面に載る。「その次の戦争」の影が迫っている
▼慰霊の日を前に、沖縄は二つの戦争と向き合っている。「尋ね人」や「死亡公報」の時代が繰り返されぬよう、日々遠のいていく「この前の戦争」の影を直視したい。「その次の戦争」を避けるためにも。