<金口木舌> 犠牲者の願い


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 55年前のあの日は、1週間前からセミの鳴き声が街に響き渡っていたという。1959年6月30日、セミの鳴き声に触発されて、当時小学2年生だった玉城欣也さん(63)=うるま市=は登校前、自宅近くの売店で母親に虫取り網を買ってもらった

 ▼当時、虫取り網は高価だった。何度もねだってようやく手に入れた。放課後に虫取り網を振るう姿を思い描き、はやる気持ちを抑えての登校だったに違いない
 ▼それが暗転したのは2校時目を終えた午前10時35分ごろ。戦闘機が墜落し、18人が命を奪われ、200人余が重軽傷を負った。校舎を直撃し、民家も巻き込んだ石川市(現うるま市)宮森小米軍ジェット戦闘機墜落事故である
 ▼玉城さんは避難する途中、虫取り網を教室に忘れたことに気付いて学校に戻り、校長室前で黒焦げになった遺体と対面することになる。その出来事が「人生の分水嶺」となった。その悲痛な体験を機に生と死を問い続け、今は牧師として命の重みを説く日々を送る
 ▼今年、当時の児童・園児が一堂に会する同窓会が初めて開かれた。その場で玉城さんはこう切り出した。「忘れたくても、亡くなった人たちは『忘れてほしくない。忘れないでほしい』ということだと思う」
 ▼セミの鳴き声に犠牲者の願いを込めた声が重なり、今年も街を、そして人々を包む。その声に耳を澄ませたい。