<金口木舌>石敢當の教え


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 サラという愛らしい名とは裏腹に、相当どう猛な台風だった。1959年9月15日、宮古島を襲った台風14号は死者47人、行方不明52人を出し、島の7割の家屋を破壊した

▼17日の本紙には「木造校舎全滅」「老婆、嫁下敷きになり即死」などの痛ましい記事が並ぶ。その記憶を宮古島から離れた神奈川県の川崎駅前に見ることができる
▼台風の翌年、沖縄出身者が多く住む川崎市で宮古災害救援の大運動が起きた。全戸10円以上の市ぐるみのカンパや街頭募金で約358万円を集め、宮古島に約1万ドルを贈った。宮古島はその返礼として石敢當を届けた
▼石には「昭和41年の台風」と刻むが、それは第2次宮古台風のこと。川崎沖縄県人会の事務局長で、募金活動の中心となった古波津英興さんは「石敢當を招来した縁結びは(34年の)第1次宮古島台風」と記している。繰り返し被害を受けた沖縄に支援を続けたことがうかがえる
▼半世紀余が過ぎ、建物は頑丈になり、防災意識も気象予報の技術も進んだ。しかしなお自然の猛威を見せつけられた台風8号だった。気象庁は台風で初めて「命を守る行動」を呼び掛ける特別警報を出した
▼外へ出ない、危険箇所を把握する、早めに避難するなど命を守る行動はある。それでも被害は出る。嵐の爪痕を修復したのは助け合いの心だったことを、物言わぬ石敢當は教えてくれる。