<金口木舌>闘牛の継承


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 幼き親鸞が「競(くら)べ牛」を見に行き、角で突き殺されそうになる。五木寛之氏の小説「親鸞」には、こんなシーンがある

▼「競べ牛」は牛の競走のこと。親鸞の生きた戦乱の世にも牛を競わせ、勝敗の行方に一喜一憂する観客がいたと想像すれば、800年前の人々がぐっと身近に感じられる
▼闘牛文化は全国にある。県内では関係者の熱意に支えられ、大会は相変わらず熱い。春と秋の全島闘牛大会は通算で101回を数えた。1トン前後の巨体がぶつかり合う迫力、技の掛け合い、勢子の巧みなコントロールがファンの心をつかみ、いつも大入りだ
▼夏の全島闘牛大会(10日・うるま市多目的ドーム)が迫り、牛も人も勝負モードに入った。特に全勝同士の横綱対決となるシーの一番を飾る牛主の力の入れようは並でない
▼闘将ハヤテの対戦牛、有心富士若は牛主の玉那覇有次さん(うるま市)が鹿児島県徳之島でスカウトした。「技も闘い方も、手入れを怠ったら全然変わる」。餌だけでなく、トレーニング、体調管理にも神経を使う日々が続く
▼沖縄以外にも岩手、愛媛、鹿児島などで闘牛が続く一方、東京都八丈島では1980年代後半に消えた。娯楽の多様化、過疎化など原因はさまざまあろう。「継承」と「消滅」。どちらになるかは、取り巻く人たちの情熱によるところも大きい。県内の闘牛関係者を見てそう思う。