<金口木舌>つくられた終戦記念日


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 きょうは「終戦記念日」である。しかし、アジア・太平洋戦争が終わった日ではない。国際的には、東京湾上のミズーリ号で日本が降伏文書に調印した1945年9月2日が「終戦の日」だ

▼米など連合国では9月2日が対日戦勝記念日(VJデー)、旧ソ連・中国・モンゴルでは翌3日が抗日戦勝記念日だ。例外は韓国、北朝鮮で、8月15日を光復節、解放記念日としている
▼なぜ、この日が終戦記念日になったのか。「八月十五日の神話」の著者佐藤卓己京大准教授は指摘する。「9月2日の降伏の屈辱を忘れたい保守派にも、8月15日に国体が革命的に変わったと考えたい進歩派にも、好都合な記念日であった」
▼8月15日はポツダム宣言を受諾した日でもない。受諾は14日付。前夜録音した昭和天皇の「玉音放送」をラジオで流した日にすぎない。15日をありがたがることで神話化が進んだ
▼GHQ占領下では降伏記念日が大きく報じられていたが、52年の講和条約発効後は姿を消す。戦後10年の55年から8・15終戦報道が増え、国民的記憶の転換が始まったという。これにお盆の供養も重なり、内向きの8・15史観がつくられた
当然視していたことも、異なる視点で考えるとつくられた歴史が見えてくる。凝り固まった自国中心の史観が首をもたげている今だからこそ、あの戦争を冷徹に見詰め直す日にしたい。