<金口木舌>武力伴う船が招くもの


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 対馬丸事件から70年。よく「学童疎開船」と表記されるが、疎開専用の船だったわけではない。もともと日米航路の貨物船で、開戦後、陸軍に徴用されて軍人も運ぶようになった

 ▼子どもたちが乗る5日前、対馬丸は上海から第62師団の兵数千人を乗せ那覇に向かった。出港時から米潜水艦に追尾されていた。民間船が本来の目的とは違う形で軍用に使われたことも、悲劇の背景にはあった
 ▼70年たった沖縄の海はどうか。海上保安庁が「安全確保」に名を借りて過剰警備を繰り広げている。世界最強の米軍を守るために、民間人を“弾圧”する姿は海保の本来の任務だろうか
 ▼沖には20隻近い巡視船、沿岸にはゴムボート、防衛局が借り上げた警戒船。約80隻がサンゴの海を囲む。沖縄戦では本部半島沖から喜屋武岬を回って金武湾まで1500隻の米艦船が本島を包囲した。辺野古の物々しい光景は当時と重なる
 ▼琉球王国にとって、船はアジアとの交易に不可欠な存在だった。物だけでなく異国の文化ももたらし、豊かで独特な琉球文化を築いた
 ▼しかし、武力を伴った外来の船はこの島の歴史を力でねじ曲げてきた。薩摩軍、明治政府軍、戦中の日本軍、米軍。島人の民意を踏みにじり犠牲を強いた。海保や防衛省も同じ轍(てつ)を踏むのか。ニライカナイに通じる海は私たちのもの。島の針路を決めるのも私たちだ。