<金口木舌> 大学に行きたいけれど


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 「大学は出たけれど」とは名匠小津安二郎の映画の題名。もう一つ、第1次世界大戦や米国発の株暴落に影響を受けた昭和初期の世相を表した言葉でもある

 ▼戦前の大卒といえばかなりのエリートだが、不況で仕事にありつけない。ようやくこぎ着けた面接で「受付係でどうか」と言われた主人公は席を蹴って立ち上がる
 ▼学歴だけが物差しではないが、今も昔も就職に当たって重視されることに違いはない。それは学ぶ意欲の高さ、知識の豊富さを知る目安でもあるからだ。だが、学びたいのに学べないとすればどうしたらいいのか
 ▼経済協力開発機構(OECD)の調査で、2011年の加盟国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は、日本が5年連続で最下位だった(10日付25面)。世界でも最高レベルの義務教育を誇る日本で「どうして?」と疑問が浮かぶ
 ▼文部科学省の統計を読んで、やや合点がいった。日本で大学に行こうと思えば、国公立で80万円前後、私立なら130万円が1年で必要だ。対してフランス、ドイツは年間数万円という安さ。高等教育への公的支援が日本は非常に薄い
 ▼大学全入時代といわれたのも昔、今や「大学に行きたいけれど」という時代。経済的な格差が学ぶ意欲や才能の芽を摘んでいるとすれば悲しい。誰にでも公平な社会を築くのは今からでも遅くない。