<金口木舌>恩師の思い出


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県立高校の生徒指導研究会を取材したときのことだ。前の取材が長引いて遅刻したら、受付にいるのは高校時代の恩師だった。「遅刻癖は相変わらずか」と小言を頂いたが、会議後に学校現場の課題や教師の悩みなど丁寧に教えてもらった

▼頭が上がらない。でも教え子を大事にしてくれる。今も思い出す教師が何人かいる。そういう先生が担当する科目は、苦手なものでも不思議なことに理解できた
▼古い先生方の顔を思い浮かべたのは、きょうが「世界教師デー」に当たるから。1966年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「教員の地位に関する勧告」を採択した日にちなむ
▼「受け持つ生徒の教育と福祉に責任感を要求する」「いかなる指導監督制度も教員を鼓舞し、援助するよう計画され、教員の自由、責任を減殺しない」。教師と政府にそれぞれ教育への責務を求める半世紀前の文章は今でも通じる
▼現在の沖縄はどうか。「全国学力テスト」の躍進は、現場の教師の指導と教育行政の両輪がかみ合った成果であることは疑いない。ただ気になるのはテストのために失ったものがないかだ
▼テスト対策のために学校行事などを減らしては、教師と生徒が触れ合う機会は失われる。学力は上がっても思い出す恩師がいない、というのは子どもたちにとって良い状況だろうか。あらためて教師の役割を共に考えたい。