<金口木舌>自然への畏怖忘れない


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 熱戦を展開した長崎国体レスリング競技の原稿を読んでいると、会場名に目が止まった。「島原復興アリーナ」。3年前に訪れた島原の風景がよみがえった

 ▼1991年、長崎県の雲仙普賢岳では火砕流などにより43人が犠牲となった。発生から20年に当たる2011年、島原市を訪れた。普賢岳災害記念館では灰にまみれ、変形したテレビカメラや自転車が展示されていた。生々しさが残るのは全て現地から掘り起こされたものだからだ
 ▼土石流が襲った水無川は再び同じ被害が起こらないよう巨大な堤防が並んでいた。20年で復興は進んだと思ったが、タクシーの運転手に聞くと、ここには住めない、と町を出た人が多いという。整った町並みとは裏腹に、人々に残した傷は長く残っていた
 ▼普賢岳の災害を超える56人が犠牲になった御嶽山では16日に捜索打ち切りが決まった。いまだ7人が不明のままだが、積雪など状況は厳しさを増す。関係者も苦渋の決断だったと思う。春には一人でも多く、家族の元へ帰ってほしい
 ▼二つの災害から学んだのは、自然はいまだ人がコントロールできないということだ。いくら科学技術が発達しても自然への畏怖を忘れたくない
 ▼台風や地震、沖縄にも天災はいつ襲うか分からない。そのときの備えはあるだろうか。遠くで起きている災害を人ごとと思わず、自らのこととして考えたい。