<金口木舌>人間を兵器にした時代


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 読谷村渡具知の比謝川沿いに大きな穴が複数ある。沖縄戦中、特攻艇を隠していた壕の跡だ。対岸の水釜からよく見える。特攻艇は250キロ爆弾を積んで敵の艦船に体当たりするベニヤ板製のボートで、陸軍は「マルレ」と呼んだ

▼こうした秘匿壕は沖縄中の海岸に造られ、慶良間や北谷、具志頭、宮古、石垣に今も残る。出撃もできず戦果は乏しかった
▼人の命を兵器として使う非人道的な特攻は、70年前の10月25日、レイテ沖で始まった。世界の戦史でも初の例だ。若者を次々と死に追いやる残酷極まりない作戦は、5カ月後の沖縄戦では陸海空の全てで行われた
▼海では、マルレのほか、金武に海軍特攻艇「震洋」、運天港には特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」が配備された。戦艦大和も加わった。空では、陸海軍の特攻機が毎日のように米艦船に突っ込み、数千機が海に消えた。陸では、防衛隊や少年兵らが爆雷を背負わされ、敵陣や戦車に突撃していった
▼9・11テロや中東の自爆テロを「カミカゼ」になぞらえる見方もあるが、決定的に違うのは日本軍の特攻は国家が強要した点だ。負け戦を「悠久の大義」の精神主義で乗り切ろうとした
▼個よりも国が重んじられる時代を再来させてはいけない。歴史も憲法も都合良く解釈する政権だけに気掛かりだ。〈身捨つるほどの祖国はありや〉。作家・寺山修司の歌が胸に響く。