<金口木舌>「責任を取る」という無責任さ


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 プロバスケットボールのbjリーグが発足したころ、ミニバスケを指導する人に「プロは成り立つか」と聞いた。返事は「沖縄ほどバスケ熱が高いところはない。大丈夫」と自信を見せていた

▼言葉通り、琉球ゴールデンキングスはリーグ1、2を争う人気チームになった。bjの繁栄はうれしいが、国内バスケット界は雲行きが怪しい。国際連盟が今月末までと定めたbjと協会公認のナショナルリーグの統一が進まないからだ
▼統一が難しいのは、プロ化に伴い、実業団チームが企業名を外すのに抵抗があるからという。個々のチームに事情があるのはやむを得ない。問題は指導力を発揮できない日本協会にある
▼統一できなければ日本は「国内リーグすら管理できない」と判断され、五輪予選をはじめ国際大会から排除される。選手が世界に挑戦する機会をプレーと関係ないところで奪われるのは悔しい
▼問題を放置したまま協会会長は「責任を取る」と辞任した。政治と金の問題で辞任した大臣2人も「責任を取る」と語ったが、説明や結論を曖昧にして辞めるのはかえって無責任に見える
▼「人生で大事なことはタイミングにC調に無責任」と歌ったのは植木等さん。だが映画と違い、現実では時機を逸し、責任も取れない人物の下にハッピーエンドは訪れない。バスケットに限らず「責任」とは何か問い直したい。