<金口木舌>島を見ているのか


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 解体作業が続く那覇タワーの周辺を歩いた。最上階にあった回転展望レストランが懐かしい。建物内のディスコに通ったかつての若者は中年の域に達したか。来年春には国際通りを象徴した建物が消える

▼完成は復帰翌年の1973年6月。新生沖縄の息吹を感じさせる建物だったが、6年前には閉鎖状態となった。那覇市民会館や海洋博の県出展パビリオン沖縄館を手掛けた建築家・金城信吉さんの設計である
▼沖縄館といえば伊江島タッチューを背にした急勾配の赤瓦屋根が記憶に残る。「27年の異民族支配に耐えてきた沖縄の人々のメモリアルシンボル」を意図した建物だった。その沖縄館も98年に取り壊された
▼建築家の足跡をたどる時、「しまー見ーらんなとーしが」という彼の言葉にたどり着く。海洋博の後、不安と喪失感が覆った沖縄への深い憂いを帯びている。海勢頭豊さんのギターラウンジで舞い、叫んだという逸話は語り草となった
▼自然風土と精神的風土に育まれた伝統建築に学び、現代建築の可能性を追い求めた金城さんが逝ってことしで30年。沖縄の風土を脅かす新基地建設を目の当たりにし、あの痛切な言葉が胸に響く
▼解体が進む那覇タワーを見上げながら「私たちは島を見ているのか」と自問した。取り返しのつかない風土の破壊を許してはならない。亡き建築家の憂いを呼び起こす時である。