<金口木舌>市民の力が壊した壁


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 まだベルリンの壁があった1988年2月、東ベルリンを訪れた。学生時代の気ままな一人旅だった。初めての社会主義国は色が乏しく、灰色と茶色が街を覆う

 ▼東側から見る壁は遠かった。近づけるのも数十メートル手前まで。先には二重の柵があり、カメラを向けると、監視塔の兵士が双眼鏡でこちらをのぞいてきた
 ▼西ベルリンに回ると、壁はカラフルな落書きだらけで簡単に触れた。東から脱出を図り射殺された人を悼む新しい花輪も掛かる。国境の駅では、東西に分かれて住む親族なのか、涙で抱き合う場面に出くわし、人々を引き裂く壁の冷酷さを肌身で感じた。壁は実際以上に厚く高く思えた
 ▼翌年、壁崩壊のニュースに目を疑った。強固な存在と信じ込んでいた冷戦の象徴が市民のつるはしによってあっけなく消えた。市民の力が歴史を動かした瞬間だった
 ▼あれ以来、世の中を変えるのは「困難」かもしれないが、「無理」ではないと考えるようになった。不可能だと擦り込まされている呪縛から解き放たれれば、基地のない沖縄も決して夢物語ではない
 ▼89年の東欧革命は小さな集会やデモから始まった。主権を求める市民の声が強まり、堅い鉄のカーテンに穴を開けた。小さな1票は社会を変える力を持つ。心の中の「無理の壁」「諦めの壁」を壊せば、この島に居座るフェンスもいつか消えると信じたい。