<金口木舌>太平の海


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 中城村のハンタ道が国史跡に答申された。首里城と勝連を結ぶ琉球王国時代の幹線道路だ。15世紀に護佐丸や阿麻和利が通った道を、400年後にはペリー艦隊の探検隊12人が歩いた

▼1853年5月、探検隊は新垣集落北側に二つの奇岩を見つけた。地元で「たーち岩」と呼ばれる岩だ。太平洋も東シナ海も見渡せる景勝の地。一行は征服の意味なのか、頂上に星条旗を立て祝砲を撃った
▼随行画家のハイネは岩をスケッチした。一行が「バナーロック」と名付け「ペリーの旗立(はたたて)岩」として有名になった。最近、周辺に広場が整備され、ハイネの絵と同じ光景が見られるようになった
▼一行が本島を踏査したのは、蒸気船の燃料である石炭の埋蔵を調べるためだ。ペリー艦隊は太平洋経由ではなく、アフリカ喜望峰を回ってきた。半年もかかった。琉球を補給基地にできれば、太平洋横断で約40日で済む。アジアが近くなる太平洋は、米国には魅力的な海だった
▼きょうは太平洋記念日。世界一周中のマゼランが南米大陸南端から太平洋に出た日だ。穏やかな航海が続いたため太平洋と命名した
▼ペリー来琉から92年後、太平洋を渡ってきた米艦船によって沖縄は焦土と化し、以後、基地の島になった。今、太平洋の大浦湾が日米の圧力で波立っている。この海に太平が戻るまで「新基地ノー」の民意の旗は降ろせない。