<金口木舌>悲劇を後世に残す意義


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 抑えた三線の音が部屋の静けさを際立たせた。三線が趣味の男性だが、曲は奏でず、弦をつま弾くだけだった

▼ハンセン病元患者の願いがかなった日の出来事だ。国に賠償を命じたハンセン病訴訟の熊本地裁判決を国が受け入れ、控訴を断念した2001年5月23日。社会が被害者救済に動きだした日だった
▼名護市の沖縄愛楽園。その男性は「園で相次いで亡くなっている。園では弾けない」と語った。男性は訴訟判決前夜の2千人集会では勝訴への決意を三線で示していた。念願に間に合わなかった人も多い現実に、胸を締め付けられた
▼29日、ハンセン病回復者の歴史を振り返り、誰でも地域で暮らせる社会を考える全国集会があった。差別に苦しんだ元患者が堂々と生きる社会が果たして実現したか
▼本紙記者が10・10空襲の取材で愛楽園を訪ねると、家族と逃げ惑うことさえ許されなかった沖縄戦体験者に会えなかった。高齢で多くが亡くなり、療養所を出た方も捜すことができなかった。差別を恐れ元患者と名乗れない人も多いからだ
▼朝日新聞が沖縄戦の別冊を学校に無料配布する取り組みが問題視される。「日本軍が住民を守らなかった」との記述が「偏向的」だとの指摘だ。過ちに苦しんだ人々の声を報じるのが、こんなにも難しい社会になってしまった。それだけに一層、悲劇を後世に残す意義は深いはずだ。