<金口木舌>人権デーの人権抑圧法


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 米国のファーストレディーの役割を一変させたのはフランクリン・ルーズベルト大統領(1933~45年在任)のエレノア夫人だといわれる。体の不自由な夫に代わって国内を飛び回り、国民の声を伝え、施策に生かされた

▼大統領が急逝した後は、戦後発足した国連の人権委員長として力を発揮した。最大の功績は48年12月10日の世界人権宣言だろう。草案を作り、採択では主導的役割を果たした。2度の大戦の反省を踏まえ、世界平和実現には全ての国が人権を守る努力が必要だとの思いがあった
▼政治体制や経済力など各国の事情に合わせたため、拘束力のない「宣言」でのスタートとなったが、その後、実効性のある国際人権規約や条約ができた。94年には国連人権高等弁務官も設けられた
▼その高等弁務官が1年前、懸念を示したのが日本の特定秘密保護法である。「政府が不都合な情報を秘密扱いする可能性」を指摘した。だが、政府は国内外の批判に耳をふさいだままで、10日の施行が近づいている
▼国民の知る権利を侵害し表現の自由を奪う“世紀の悪法”が、皮肉にも世界人権デーに施行されるのは悪夢としか言いようがない
▼エレノアは宣言採択前にこう演説した。「きょう私たちは国連と人類の歴史の重大な出発点に立っている」と。日本も今、歴史の重大な岐路にある。時代を巻き戻してはいけない。