<金口木舌>「この道」ではない沖縄の道


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 下校時の散歩に夢中になったのは小学生のころ。通学路を外れ、見知らぬ小道を徘徊(はいかい)しては「秘密の近道を見つけた」と喜んでいた。今考えると、かなりの遠回りだ。自宅周辺でのささやかな冒険だった

 ▼中年の域に入り、再び散歩が楽しくなった。カメラを手に、当てもなく裏道を進む。方向感覚が失われるころ、散歩の面白みが増す。角を曲がるたび、目の前に広がる見知らぬ風景に感動を覚える
 ▼那覇やコザの散歩は格別だ。国道や県道から一歩中へ入ると表の喧噪(けんそう)は遠のき、街の素顔が見えてくる。複雑に入り組む道の両側に並ぶ家屋や木製の電柱を眺める。庭先の洗濯物にも暮らしの呼吸を感じる
 ▼島尾敏雄さんのエッセー「迷路の那覇」は散歩の魅力にあふれている。舞台は国際通りの裏辺り。「迷路じみた町筋に酔うたのしみが味わえるのが何とも言えずよかった」のくだりにうなずく
 ▼政治の表通りでは衆院選で勝利した与党が闊歩(かっぽ)している。安倍晋三首相が発する「この道しかない」の号令は道草を許さぬ勢いだ。ところが信任を与えた国民の目線は冷たい。投票率は戦後最低だった
 ▼低投票率は沖縄も同じだが、下した判断には体温を感じる。自らの道を踏み出した証しだろう。泥濘(でいねい)が待っているかもしれぬが、目標を定めてしっかり進もう。この国が誤らぬよう道標を築く歩みにもなるはずだ。