<金口木舌>歴史家の確信、沖縄の礎


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 1910年の大みそか、27歳の比嘉春潮は1年を回想し「予が思想の大なる変改ありし年なり」と日記に記した。この年、「未見の師」と仰いだトルストイが逝き、大逆事件が世を騒がした

▼「琉球処分」から約30年。比嘉は、トルストイへの傾倒を経て社会主義に向かう。思想弾圧も周辺に及んだ。終生影響を受けた伊波普猷と出会った年でもあった
▼後に歴史家となる比嘉の目が差別にあえぐ同胞に注がれたのは自然であった。「琉球人か。琉球人なればとて侮蔑(ぶべつ)せらるるの理なし」と日記で嘆じた。その筆致は悲痛だ
▼侮蔑された「琉球人」は日本人として国家に殉ずる道を強いられ、沖縄戦の悲劇に遭う。44年の大みそか、当時の日刊紙「沖縄新報」は正月気分をいさめ「戦う国民」たれと鼓舞した。米軍侵攻の3カ月前である
▼比嘉は69年の著書「沖縄の歳月」の序文で、屋良朝苗が勝利した前年の主席公選に触れ「今日の沖縄人は半世紀前のように悪政に屈服し黙従する奴隷的存在ではない」と書いた。苦難にあらがう沖縄の歩みを見詰める歴史家の確信であろう
▼沖縄の民意を携えた県知事との会談を首相らは拒んだ。国策に異を唱(とな)える民を排除する。戦争と戦後体験を軽視する政権の仕打ちだ。それでも私たち沖縄はこの1年で自己決定権の礎を築いたと信じる。比嘉の言葉をかみしめ、戦後70年の節目を迎えたい。