<金口木舌>心の日記帳を引き継ぐ


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 沖縄戦中、米軍が撮影した収容所の写真を見るたびに想像する。激しい地上戦を生き延び、米軍の保護下に置かれた人々は何を考え、戦後の歩みを始めたのだろうか、と

▼作家の船越義彰さんは10年前、本紙に寄せた随筆で「たましいのやすらぎ」を収容所で取り戻したと回想した。「『躁(そう)』の形で現れた呆然(ぼうぜん)自失」とも書いた。戦争体験は船越さんの創作活動のモチーフとなる
▼新聞記者だった牧港篤三さんは収容所で詩を編んだ。「わたしは たしかに生存していた」と書いた詩人は重い足取りで戦後を歩み出した。戦争に加担したという自責の念は深かった。それが後年の平和活動につながる
▼元ひめゆり学徒の宮城喜久子さんは収容所の中で自身の戦争体験を手製の日記帳に記録した。「この事実を決して忘れてはいけない」という思いだったと自著で語っている。悔恨が戦後の出発点となった
▼20年ほど前、宮城さんから日記帳を見せてもらった。変色した紙を糸で束ねた日記帳には16歳の少女の文字が並んでいた。収容所でともしたランプの下で、学友を失った悔しさを刻んだのであろう
▼沖縄戦体験を語る時、宮城さんは心の中で日記帳をめくっていたのではないか。大みそかの朝に他界した宮城さんの心の日記帳を、後に続く若い世代が引き継がなければならない。そのことを戦後70年の誓いとしたい。