<金口木舌>塩を送る度量


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 「敵に塩を送る」という言葉はご存じだろう。戦国時代、塩の供給を断たれた武田信玄の領地で人々が困窮し、敵対する上杉謙信が塩を送った故事にちなむ

 ▼伝承などによると、それが1568年の1月11日。塩が届いたとされる長野県松本市では、感謝を込めてこの日に「塩市」(現在はあめ市)が開かれる。民を重んじる戦国武将の誇りを感じる
 ▼この塩攻めを仕組んだのは武田と競り合う遠江・駿河(現在の静岡県)の今川氏だった。戦国時代初期に最大の領地と勢力を誇った今川義元が死に、後を継いだ氏真(うじざね)の時代のこと。領地や重臣を次々に失い、じり貧の中で卑劣な策略を実行した
 ▼今川氏の最期はご承知の通り信長、家康に攻められて滅びた。一時の栄華を誇っても、人心が離れるような策略を実行するような人物の元に、残るものは何もないと歴史は教えてくれる
 ▼翻って現代にも今川氏のような人物はいる。戦で負けたことを根に持ち、県民の代表との面会を断ったり、予算を減らそうと画策したりする人々だ。じり貧の辺野古移設を打開するつもりがかえって民心を失うことに気付いていない
 ▼そもそも安倍晋三首相は「沖縄の振興は日本の将来をけん引するもの」(2013年6月)と位置付けていた。敵味方を乗り越えて「塩を送ろう」という度量の広い人物は、どうやら現代にはいないようだ。