<金口木舌>20年かける議論


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 米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学の現場に、時折、県外の学生を案内する。ヘリが激突した本館はない。当時の写真を見せても「イメージしにくい」「建物が残っていれば」との声が漏れる。壁の一部がモニュメントとして残るものの、今や風雨にさらされ、黒い焦げ跡は消えつつある

▼事故後、学生や教職員から壁の保存を求める声が高まったが、大学側は議論を深める前に解体に踏み切ってしまった。「近隣住民の心情を考えて」も理由の一つだった
▼同じ議論が東日本大震災の被災地で起きている。震災の猛威を伝える建物を残すか壊すか。象徴的なのが宮城県南三陸町の防災対策庁舎だ。屋上を越す津波が襲う中、最後まで防災無線で避難を呼び掛け続けた職員ら43人が犠牲になった
▼地元で賛否が割れる中、宮城県は震災から20年の2031年まで建物を県有化し、解体を事実上見送るよう町長に提案した。広島の原爆ドームが保存を決めるまでに21年かかったことを参考にした
▼被災地を何度か訪ねたが、そのたびに震災遺構が消えていく現実に無念さを覚えた。防災対策庁舎のむき出しの鉄骨は、津波の威力をリアルに伝える。言葉を失う。訴える力は大きい
▼今回の宮城県の判断は、時の経過に解決を委ねるもので賢明な判断だろう。遺族の心を癒やす方法も考えつつ、じっくりと議論を重ねたい。