<金口木舌>艦砲ぬ喰ぇー残さー


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 戦争を生き延びた人々の心情を歌った民謡「艦砲ぬ喰ぇー残(ぬく)さー」に、こんな一節がある。「生まれ変わてぃん/忘らりゆみ(中略)恨でぃん悔やでぃん飽きじゃらん/子孫末代遺言さな」

 ▼作詞作曲は読谷村出身の比嘉恒敏(こうびん)さん。「生まれ変わっても忘れられようか/恨んでも悔やんでも飽きたりない/子孫末代まで遺言しよう」。戦(いくさ)を憎む叫びが胸に迫る
 ▼米軍艦船が海岸線を埋め尽くす中、4月1日に読谷村などの海岸から米軍が上陸した。艦砲射撃が村を襲い、上陸部隊が火を放った。同村波平の自然洞窟チビチリガマにいた上原豊子さん(78)は多くの死を目にし、ことしの慰霊祭で「ただただ戦争は怖かった」と伝えた
 ▼ことしも、そんな遺言の数々を伝える催しが読谷村立美術館で始まった(5月17日まで)。4時間を超える証言映像は、村民46人のしまくとぅばでの語りを編集し、沖縄戦を生きた遺言を記録している
 ▼空襲、艦砲射撃、集団死、避難、捕虜生活…。「たくさんの血が流れたんだよ」。証言者の中には言い尽くせぬ苦しみを、身に残る傷を示して伝える人もいる
 ▼「艦砲の食い残し」として生き残った者にとっても、つらく苦しい70年の歳月だったに違いない。目の前で理不尽に奪われた命を思い続け、尊き遺言を残すことに努めた人たち。その声にひたすら耳を傾ける季節である。