<金口木舌>ベランダーの極意考


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 きょうは唱歌「茶摘み」に歌われる八十八夜。沖縄ではうりずんの季節がじきに終わり梅雨が訪れる

▼夏本番を前に園芸愛好家は対策に頭を悩ますころだろう。集合住宅住まいでやや手抜きのベランダ園芸家にも人ごとではない。冬から春に買った柔らかい草花はまず夏を越してくれない。長年を共にした植物にも異変が起きやすい
▼「ベランダー」の呼称をご存じだろうか。庭持ちの「ガーデナー」に対し、自己流でベランダ園芸に励む人を指す。作家いとうせいこう氏の怪著「ボタニカル・ライフ」「自己流園芸ベランダ派」に詳しい。東京浅草のマンションで起きる植物とのせめぎ合いをつづり、TVドラマ化もされる
▼後生大事に育てる実のならないイチジク。花弁の束に狂喜し偏愛するアマリリス。枯れた鉢への執念の“水やり介護”。ベランダの隅に追いやって忘れた枯れ木からほころんだ緑の芽への歓喜
▼私のベランダでは数年来ブーゲンビレアが絶対に咲かない。バラの葉には不気味な白い粉が吹いている。朗らかに育った大柄の観葉植物はカイガラムシにやられ、葉は黄ばんでべとべとで立つ瀬がない
▼「手の出しようもない生命の数々に、俺は感謝する」(いとう氏)。命の盛りだけでなく枯れて死ぬまでの全部を引き受ける。上手に育てるより一緒にあたふたする。極意はそれを楽しめてこそだろうか。