<金口木舌>忘れられない記憶


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県議会議長を務めた友寄信助さん(81)=宜野湾市真志喜=には、今につながる忘れられない記憶がある。「話を聞いて駆け付けた時には、海砂をザァーとまいていた。武力を背景に土地は次々に取られていった」

 ▼米軍が土地を強制収用した1955年3月11日から本格化した伊佐浜土地闘争での記憶だ。住民が座り込むのをよそに米兵が銃剣で威嚇し、ブルドーザーで田園地帯を一変させた
 ▼人々の生命の糧である美田の強制収用を目の当たりにした友寄さんは「込み上げる怒りを抑えられなかった」。今は人々を武力で威嚇する露骨な乱暴はないが「本質は何も変わっていない」とも
 ▼名護市辺野古への新基地建設に反対する「島ぐるみぎのわん会議」が14日発足した。友寄さんは共同代表の一人に就任した。あいさつで口をついて出たのは青年会長時代の伊佐浜での記憶だった
 ▼忘れられないつらい記憶は辺野古を見るたびに重なり、心がうずくようだ。街を貫く米軍普天間飛行場も、伊佐浜と同じように住民の悲しみの記憶が埋め込まれている。「痛い目に遭っているから、同じ痛みを押し付けるなんてことはできない」
 ▼5月は憲法記念日に始まり、その庇護(ひご)の下に入った施政権返還の記念日と、沖縄の在り方を考える月である。日本に戻って良かったのか。焼き付いた苦難の歴史をかみしめ、自問を繰り返す。