<金口木舌>助け合い、先人を手本に


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 20世紀最大の自然災害といわれた関東大震災。沖縄からの出稼ぎ者が多かった神奈川県川崎市の富士瓦斯紡績では県出身者72人の死傷者を出した

▼被災した県人を支援しようと震災の翌年結成されたのが川崎沖縄県人会だった。焼け出されて働く場も住む場も失ったウチナーンチュを、故郷を同じくする者たちが助け合った。その絆は91年後の今も続く
▼川崎市の簡易宿泊所2棟が全焼した火災は「無縁社会」をも浮き彫りにした。かつては日雇い労働者に利用されてきた宿だが、今は生活保護の受給者が多く、高齢者も多い。20年滞在する人もいるという
▼宿泊費は1日2千円程度。月額6万円ならアパート代になりそうだが、高齢の単身者は大家が敬遠するケースが多い。身寄りもなく、働くこともままならない人たちが身を寄せる場はここしかなかった
▼2月に中1男子が殺害された市内の河川敷は数年前まで路上生活者のたまり場だった。ある県人会員は沖縄出身者の様子を時々見に行っていたという。「ある日ぷっつりいなくなった。今はどこにいるか」
▼死者の半数以上は身元が分かっていない。DNA鑑定をしても身内が名乗り出なければ判明しようがない。猛火があぶり出したのは、困窮者の支援を急がねばならないことだ。行政の取り組みと共に、先人が培った助け合いの心を社会全体の手本としたい。