<金口木舌>ささやかな願い


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 父方の亡くなった祖母は沖縄戦の話をあまりしなかった。でも、祖母がヤンバルの森を小さい子を連れて逃げ惑ったことは知っている。当事者だった父らから聞いた

▼それでも祖母の言葉には沖縄戦体験者の教訓がにじんでいた。食べ物は残さない。何より、人を思いやる。優しさを持つ余裕のない戦世を体験したからこそ、ことさらそう感じたのではないか
▼学生時代、米軍普天間飛行場の返還決定前に写真家の大石芳野さんと話をした。「なぜ、基地を県外へ、と主張しないの」と聞く大石さんに「本土がかわいそう」と答えた
▼「ここまで苦労した。もう優しくなくていい」という返答が耳に残る。あれから20年。ささやかな願いだが、優しい沖縄県民もせめて普天間飛行場だけでも県外へ、と主張できるようになった
▼歌手のCoccoさんは普天間飛行場について政府が県民に迫る県内か固定化かの二者択一を「ギロチンか電気イスか」と例えた。「正しいやさしい選択肢が欲しい」との素直な訴えに大いに共感する。戦後70年の節目に県教育委員会は高校生による平和行進など新たな試みを企画している
▼若い世代も沖縄戦を体験したが故に平和への思いが強い沖縄に生まれたことは誇りにしていい。まだ沖縄戦の教訓は聞ける。新基地建設阻止で座り込む体験者もいる。なぜ彼らが拳を挙げるのか、その声を心に刻んでほしい。