<金口木舌>生きた証しを刻む


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 ただ一度会っただけなのに、深く心に残る。毎年6月になると、その人のことを思い出す。北中城村史編さんに携わった山川輝昌さん。14年前の夏、50代の若さでこの世を去った

▼取材でお会いしたのは2001年6月だった。5カ月後に開幕する世界のウチナーンチュ大会に向け、「移民と戦争」の特集紙面を組むためである。取材を終えた後、「平和の礎」の追加刻銘について語り始めた
▼どうしても平和の礎に名前を刻みたい戦争犠牲者がいる。資料が少なく、難しいケースだったが、なんとか刻銘の可能性が出てきた。生きた証しを礎に残してあげたい。そういう話だったと記憶している
▼一人でも犠牲者の名を軽んじてはならないという信念を伝えたかったのだろう。1995年の平和の礎建立に向けた調査でも村全域を奔走した人であった。その山川さんが闘病の最中にあることを人づてに聞いた。2カ月後、訃報が届いた
▼刻銘に懸けた思いを聞くことはかなわない。戦場で無念の死を遂げた犠牲者と、残された自らの生を重ねていたのではなかったかと想像する。生きた証しを刻むために証言を集め、資料を編んだのであろう
▼平和の礎にはことし、87人の名が刻まれた。それぞれが生きた証しである。残された時間を一人の追加刻銘に注いだ山川さんの遺志を継ぎ、戦後70年の「慰霊の日」を迎えたい。