<金口木舌>視力は4・0


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 沖縄尚学高校が県勢初の全国制覇を成し遂げた1999年春の甲子園。高校野球と沖縄の歴史を端的に表した写真がある。球場フェンスにしがみついて泣き崩れる年配の男性の1枚だ

▼勝利の喜びだけではないはずだ。本土に遅れていると言われ、故なき差別も受けた。悔しさをも晴らす涙ではなかったか。復帰わずか4年、同じく沖縄の期待を一身に背負った男がいた
▼具志堅用高さんだ。ボクシングの世界ライトフライ級王座を13回連続防衛した偉業は燦然(さんぜん)と輝く。もう一つ県民を沸かせたのは素朴な話術だ。興南高の伝統を聞かれて「蛍光灯です」、家紋を「(門は)ブロック」など、たくまざるユーモアに県民はハラハラさせられた
▼実は抜群の記憶力の持ち主で、引退から約20年後の本紙取材に世界戦でのパンチの応酬を細かく説明した。プロ野球の始球式で三塁に走ったり盛大に空振りしたり。サービス精神旺盛な人柄も愛される
▼視力4・0と公言していた。ボクサーならではの動体視力と思いきや、片目2・0を足して4・0になると思い込んでいたとのこと。持てる力を2倍に思い、存分に発揮するプラス思考がいい
▼思えば具志堅さんの会話にハラハラしたのは、本土に笑われたくないという気負いであった。もう気負う必要もないほど沖縄人は自信をつけた。具志堅さんの存在も大きい。感謝を贈りたい。