<金口木舌>市民球団が伝える記憶


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 大混戦のプロ野球セ・リーグで、広島の応援団が元気だ。カープ女子の増加、黒田博樹投手の大リーグからの復帰など話題も豊富。いきおいファンも熱い

▼熱烈な応援は創設当初から続く。1950年、原爆で焼け野原になった街の復興を願い、結成された広島東洋カープは親会社を持たない。球団解散の危機も市民の「樽(たる)募金」で乗り越えた
▼漫画「はだしのゲン」で、カープ愛あふれる隆太少年は資金難のため移動中の選手が三等車の通路に寝ていることに涙し、最下位続きでも「我らがカープ」と歌う。作者の中沢啓治さん自身が小学1年生で被爆し、復興の希望を球団に託した
▼チームは原点を忘れていなかった。原爆投下から70年となることし8月6日、選手も監督も全員が背番号「86」のユニホームで試合に臨む。原爆投下の日を知らない子どもが増えていることを懸念しての取り組みだという
▼ユニホームは平和の願いを込めて胸に「PEACE 86」、背中は「HIROSHIMA 86」、左袖には原爆で犠牲になった29万2325人の数字。帽子側面には白いハトをあしらった
▼会見した前田健太投手の言葉は「野球を通じて『忘れてはいけない』という思いを全国の皆さんに伝えたい」。焦土からの復興がかなった70年。野球を通して8月6日の記憶を伝え続ける赤ヘル軍団にエールを送りたい。