<金口木舌>感動は選手から


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 1940年東京五輪が幻に終わったことはよく知られる。関東大震災からの復興を世界に示し、「皇紀2600年」の記念行事として構想された

▼開催4年前の36年にヘルシンキを抑えて招致に成功した。しかし日中戦争を引き起こした日本への批判が各国から上がり、38年に開催を返上した。だが、断念の理由はそれだけではない
▼開催まで残り2年半でもメーンスタジアムの建設は進まなかった。明治神宮外苑での建設計画は暗礁に乗り上げ、建設費、資材もめどが付かない(橋本一夫著「幻の東京オリンピック」)。皇紀2600年にこだわり、施設もないまま立候補したため、対応は後手に回った
▼2020年東京五輪に向けた新国立競技場建設が物議を醸している。12年ロンドン五輪の主会場が三つも造れる2520億円もの多額の建設費には誰しも疑問が湧こう
▼政府は国と都の負担のほか、スポーツ振興くじ(toto)を当て込み、スポーツ振興基金の取り崩しも検討する。だが、totoはスポーツ振興と国際競技力向上、基金は選手強化が目的だ。巨大なハコ物に転用するのは本末転倒ではないか
▼五輪の感動は選手が生み出すもので、巨大な2本のキールアーチからではない。元五輪選手の為末大さんは「お祭りなりの予算というものを逸脱すべきではない」とする。見込みの甘さを正す時間はまだある。