<金口木舌>「悪魔の島」から半世紀


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 絵本画家・いわさきちひろの遺作『戦火のなかの子どもたち』(1973年)は異色だ。テーマはベトナム戦争。ストーリーがなく、心が傷ついた子どもたちが描かれ、静かに反戦を訴える

▼ちひろは制作中〈ざわわ…〉と「さとうきび畑」を口ずさんだという。沖縄に思いを寄せ、そこから飛び立ったB52がベトナムの子どもたちの頭上に爆弾を落とすことに心を痛めていたのだろうか
▼嘉手納基地からベトナムへの出撃が始まったのは50年前。台風避難を名目にグアムから飛来したB52約30機が65年7月29日朝、ベトナムを無差別爆撃して昼すぎに戻ってきた。以来、沖縄は「悪魔の島」になった
▼軍需物資や兵員の補給基地となり、北部ではゲリラ訓練が続けられた。本国へ送る前の遺体処理も行われた。米司令官が「沖縄なくしてベトナム戦争は続けられない」と強調するほどの重要な後方支援拠点だった
▼“黒い殺し屋”B52は68年から嘉手納に常駐し、11月には離陸に失敗して墜落炎上、住民を恐怖に陥れた。撤去の声は高まり「祖国復帰」運動は「反戦平和復帰」の色を濃くしていく。在沖米軍基地はその後も、湾岸、アフガニスタン、イラク戦争への出撃地となった
▼そして今、米国の戦争に加担する集団的自衛権、辺野古の新基地という危険因子がある。沖縄を加害の島にし続けようとする外圧は摘み取りたい。