<金口木舌>敗戦日記を読む


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 作家の高見順は、永井荷風と同じく膨大な日記を残した。1945年8月は敗戦による心痛と憤りを率直に記している。70年前のきょうは新聞批判で始まった

▼「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない」と戦争責任を追及した。「手の裏を返すような記事」を載せる無責任な姿勢は「厚顔無恥」であるとも
▼沖縄の新聞を読んだならば、さぞ驚いたであろう。米軍機関紙として生まれたウルマ新報は「渇望の平和愈々(いよいよ)到来」の見出しでポツダム宣言の受諾を報じた。「手の裏を返す」ような記事は収容所の住民に衝撃を与えた
▼時勢と距離を置いた永井は8月15日の敗戦を「あたかも好し」と日記に書き、祝宴まで開いた。日本文学報国会に属し、勝利を願って「私なりに微力は尽くした」と痛恨の念を日記につづった高見とは対照的である
▼高見は65年に他界する前に日記を公表し、「いつわらざる私の姿」として自らの戦争協力の事実を世にさらした。今では文学者の戦争責任を考える貴重な作品として読まれている。公表の真意もそこにあったのであろう
▼戦後70年の8月15日、安倍晋三首相はフェイスブックで「国の未来を切り拓(ひら)いていく」という誓いを記した。過去を都合よく解釈する首相の未来志向は軽すぎないか。敗戦時、一作家が抱いた苦悩を見詰め直したい。