<金口木舌>国道を見つめる


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 民謡「県道節」には、労働者が人使いの荒い現場監督を冷やかす場面が出てくる。民謡研究者の仲宗根幸市さんは「権利意識にめざめた労働者のレジスタンス」と評した

▼歌の背景には1920年代以降、各地の県道工事現場で起きたストライキがある。歌詞をひもとけば、抵抗の舞台となった県道が姿を現す。さらに歴史をさかのぼると、沖縄史の曲がり角に1本の国道が見えてくる
▼「琉球処分」から6年後の1885年、政府は沖縄初となる国道を認定する。現在の那覇市西に置かれた県庁と那覇港を結ぶ350メートル。1920年に泉崎まで延長するが、それでも2キロに満たない短い国道だった
▼県庁があったのは薩摩の出先機関「在番仮屋」の跡地。琉球藩の時代には外務省や内務省の出張所にもなった。薩摩の琉球支配や政府による琉球併合の痕跡を残す地に国道が通った
▼政治・経済の中心でもあった。1916年1月の本紙記事は「昼間は沖縄の政治家実業家は此辺に集まって居る」と書いた。沖縄戦から70年を経た今、かつての国道周辺に往時の名残を探すのは難しい
▼沖縄初の国道はヤマト世を基点とし、イクサ世を通過してアメリカ世に至るところで終点を迎えた。沖縄近現代がここに刻まれている。その延長に戦後沖縄の道程がある。「いつか来た道」を見詰め、未来への道をしっかり歩もう。