<金口木舌>心を揺さぶるものは


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 国体開会中の和歌山県は、もう秋。柿やミカンが実り、収穫を待つ黄金の田のあぜに彼岸花がそろそろ終わり、コスモスが咲く。紀の川の朗らかな広さに心洗われる

▼重量挙げをはじめテニスやレスリングなどで県勢が優勝を重ね、活躍する。胸のすくような会心の瞬間もいいが、得点を地道に重ねる長丁場の試合の途中、急に心揺さぶられることがある
▼動揺からの凡ミスに天を仰ぐ顔。目前の出来事から振り落とされまいとしがみつく身体。勝利は、絶望と希望の間を行き来する途方もない繰り返しが、最後に転がり込んだ場所の違いにすぎないとさえ思う
▼とはいえスポーツでは勝負は勝負、練習と結果が全て。勝つべくして勝つ人もいる。勝負の酷薄と長い道程を考えながら、なぎなたが開催された九度山町である人の存在を思い出した。大石順教(本名・よね)だ。高野山真言宗の寺だったこの町の旧萱野(かやの)家と親交があった
▼芸者として養女に出されたお茶屋で乱心の養父に両腕を切り落とされる。苦難の中、カナリアがくちばしでひなにえさを与える姿を見て口で筆を使い始めた。書画の修行を極め、身体障がい者の社会復帰に貢献する
▼彼女の「王三昧(ざんまい)」という画(え)には、琵琶を弾く酔っ払いの鬼が情けなくも優しい姿で描かれる。悲劇と1羽の鳥、血のにじむ努力に導かれ、彼女が到達したこの画を一度見てみたい。