<金口木舌>「知らない」では済まされぬ


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 戦渦の従軍看護婦は15歳と16歳。摩文仁で米軍の捕虜になるまで2人が肌身離さなかった救急袋に大事な写真が入っていた

▼モダンな銀幕のスター桑野通子のブロマイドを、久場千恵さんはつらいとき取り出した。「あしたどうなるのかしら、というときなのにね」
▼牧野豊子さんは、セーラー服に水兵帽姿の同級生金城静子さんと家族の写真を持っていた。「白い紙に包んでね」と写真を預けてきた静ちゃんは、首里の大角座(うふかくじゃー)でのどに迫撃砲の破片が直撃、死亡する。牧野さんは捕虜になると「米兵にさらすものか」と大切な写真を後ろ手で破った
▼昨年取材した2人は、日本赤十字社救護看護婦養成所の同期生。今帰仁と具志川から那覇に来た。うっとり眺めた洋裁店、そばのだしとネギの香り漂う三角屋。お金はないが仕事後に歩く街が青春そのものだった
▼71年前のきょう、那覇で機銃掃射や焼夷(しょうい)弾による米軍の無差別爆撃が始まった。電線が巻き付いて死んだもんぺ姿の少女。火炎で焼けた道が逃げる足の裏を突き刺す。避難民でぎゅうぎゅうの墓。9時間もの爆撃で668人が死亡、家屋の9割が焼失した
▼政府は10・10空襲の戦没者を「把握しておらず、答えるのは困難」と先月閣議決定した。安保関連法で国民の安全を喧伝(けんでん)する一方で、無念の死を「知らない」と突き放す血の通わない政府の言葉を忘れまい。