ハンセン病に対する偏見を一掃し、回復者や患者、家族らが地域で当たり前に暮らせる社会を早期に実現したい。
療養所を退所したハンセン病回復者で組織する「沖縄楓(かえで)友の会」と「宮古むつふさの会」が「沖縄ハンセン病回復者の会」を設立した。地域医療・介護体制の整備や支援体制の充実などを目指した活動に取り組む。
ハンセン病患者の強制隔離を約90年にわたって合法化した「らい予防法」は1996年に廃止された。だが、ハンセン病に対する社会の偏見は完全に払拭(ふっしょく)されていない。患者や回復者らの人権状況が改善したとは到底言えない。
退所者の多くは社会に残るハンセン病への偏見と差別を恐れ、過去を隠し生活しているのである。回復者が新たな組織を結成して、自らが置かれた状況を変える活動をせざるを得ないことを重く受け止めたい。偏見と差別は社会全体の問題である。改善に取り組むことは、私たちに課せられた責務である。
体調が悪くても病歴が発覚するのを恐れ、地域の病院に行けない退所者は多い。後遺症の治療を受けたくても療養所以外ではハンセン病の症例を経験した医師が少なく、満足いく治療を受けられずに症状を悪化させるケースも増えているという。
回復者の会は近く、県に対して①地域医療機関でのハンセン病医療体制が整うまで愛楽園、南静園への交通手段確保に便宜を図ること②自治体や医療・介護機関に対する研修実施③後遺症治療のための訪問介護実施④地域医療機関へのソーシャルワーカーや相談支援員の同行支援実施―などを求める。
いずれも退所者らにとっては切実な要求である。県には最大限の配慮を払うことを求めたい。
だが、行政の対応だけでは回復者の会が求める「地域で当たり前に暮らせる社会」は実現できない。
回復者らが今も差別と偏見にさらされていることには、私たちにも責任がある。昭和初期には県内で療養所建設への反対運動が起きたほか、患者が集落から離れて暮らす小屋を焼き払う事件もあった。強制隔離時代に終止符が打たれた後も、病気が治って社会復帰した回復者は就職や結婚で、さまざまないわれのない差別を受けてきた。
この間、患者や回復者らの境遇に社会は無関心だった。その置かれた悲惨な状況に目をつぶり、悲痛な叫びに耳を閉ざしてきたことは否めない。寄らず触らずといった態度が差別と偏見を放置する結果を招いたのである。
らい菌の感染力は極めて弱く、感染したとしても発症はまれである。治療法も確立されている。怖いのは菌よりも社会の偏見の方だ。差別と偏見を乗り越えていかなければならないのは患者や回復者らではなく、私たちの社会であることを深く認識したい。