音楽や広告の力で、東日本大震災の被災地を支援する福島県出身のクリエーティブディレクター箭内道彦さん。「あの日」が少しずつ遠ざかる今、支援を続けることへの強い思いを聞いた。
2011年から出演してきたNHK・Eテレの番組「福島をずっと見ているTV」が昨年3月11日放送の第101回で、ひっそりと終了しました。放送後にスタッフから終了を告げられ、「一つの役割を果たした」との判断理由を聞きました。
まだまだ道半ばなんです、被災地の復興は。「ずっと見ている」と名付け、福島の現状を伝える番組を終わらせていいのか。まるで「福島は、もう大丈夫でしょ」と言われたかのようで、大きな違和感を抱きました。
復興支援を継続する難しさを年々実感します。東日本大震災から10年が過ぎた頃が岐路でした。復興イベントの集客はどんどん減っています。一方、東京電力福島第1原発の廃炉には今後30年はかかるといいます。
もちろん被災者の思いもさまざま。苦しみが増して今支援を求める人もいれば、もう放っておいてほしい人もいます。僕に今できるのは、多くの声に耳を傾けて、必要な支援の在り方をアップデートし続けることです。
能登半島地震の被災地支援を巡っては、SNS(交流サイト)などで多様な意見が飛び交いました。手法や時期に賛否が沸き、一人一人の「良かれと思って」のぶつかり合いが、世の中の複雑さを映し出していました。
11年9月、僕は福島県内で復興支援ライブ「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」を開きました。震災から半年後の開催には批判も多く「人殺し」とまで言われました。それでも決断したのは「音楽が必要なんだ」と求める被災者が確かに存在したからです。
音楽が不要な人も当然いますが、立ち止まれば必要な人に届かない。支援とは、思いやりのブレーキをかけつつ、助けを求める人まで全速力でこぐ自転車のイメージ。原動力は当事者の声です。
13年に神戸市を訪ねた時、ある人が阪神大震災について「『震災何年』という言い方が嫌だ」と話してくれました。その日にだけ思い出す過去の話として扱われるのが嫌だと。時を経ても、被災地の傷は消えません。
若い頃は「明日死んでも構わない」が口癖だった僕は、今とにかく長生きしたい。廃炉のその日まで「福島をずっと見ている」を実行したいです。
やない・みちひこ 1964年福島県生まれ。広告大手から独立し「風とロック」設立。東京芸術大教授。2015年から「福島県クリエイティブディレクター」としても故郷の支援活動を続ける。ロックバンド「猪苗代湖ズ」メンバー。
(共同通信)