有料

流れ変えた対策基本法 <うつをこえて 自殺を防ぐために>5 張賢徳


流れ変えた対策基本法 <うつをこえて 自殺を防ぐために>5 張賢徳 イラスト 増田たいじ
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 1998年に到来した年間自殺者3万人時代。研究者の一部には「一過性の現象かもしれない」との楽観的な見方もあったが、事態は甘くなかった。2012年に3万人を割り込むまで、14年間も続くことになる。

 世界保健機関(WHO)の14年の報告では、人口10万人当たりの自殺率は世界全体で11・4と推定された。15を超えた国は高自殺率国と区分される。自殺者3万人時代の日本は25前後で推移し、ワースト10常連だった。

 この状況をなんとかしないといけない。しかし当時、国による組織的な自殺対策はなかった。民間団体の活動も限られていた。その一つが日本自殺予防学会だが、98年当時は会員が200人に満たない弱小学会だった。

 自殺率が低いため自殺予防の活動が低調なのならまだ問題はないが、日本は98年以前から自殺率が15を超える高自殺率国だった。しかし自殺予防の社会的活動は、いのちの電話や国際ビフレンダーズ自殺防止センターなど、少数の民間団体が担うだけだった。

 なぜそうなっていたのだろうか? 誰かが責められるべき問題ではない、と私は考える。

 日本で生まれ育った私たちは知らず知らずのうちに「切腹文化」のメンタリティーを共有し、「腹を切る」という表現が日常会話に入り込んでいる。また、キリスト教やイスラム教と異なり、神道や仏教は自殺を明確に禁じてこなかった。このような社会文化的背景が自殺に寛容な意識を生み出してきたのだろう。

 英国留学のホームステイ先で、5歳の子どもが聖書の絵本で「自殺してはいけない」と教わるのを見て、文化の違いに驚かされた。日本文化の良さは守られるべきだが、自殺に関しては「個人が決めたこと」と放置されるべきではない。多くが最期の時にメンタル不調を来し、正常な判断ができないのだから。

 国の自殺対策が大きく動き出したのは06年。超党派の議員立法で自殺対策基本法が成立したのだ。背景にはNPO法人自殺対策支援センターライフリンクによる10万人署名をはじめとする精力的な活動があった。

 この法律は自殺を個人の問題に帰するのではなく、社会全体で予防に取り組むことを掲げる世界に類を見ない画期的な内容で、成立した意義は大きい。これにより自殺対策に人と予算がつき、国を挙げて多面的な活動が展開された。そして12年に自殺者3万人時代に幕を下ろし、19年まで順調に減少が続くのである。

 (日本自殺予防学会理事長)
(共同通信)